英語を学ぶということ

英語は、事実上の世界共通語になっています。

私はこのことに強い違和感を感じていました。

今たまたまそうなっているに過ぎない、時代が変われば別の言語が席巻するだろう、日本語をおろそかにして他の言語を学ぶ必要はない・・・いろんな反対意見を持っていました。

ところが、その考えを180度変える出来事がありました。

先日、モルディブ共和国から来た子どもをホームステイで受け入れるという体験をしました。

モルディブの母国語はディベヒ語という超マイナー言語です。

翻訳アプリ全盛の時代ですが、ほとんどがディベヒ語には対応していません。

調べたわけではありませんが、ディベヒ語の小説や学術書などの書籍、映画などの芸術作品は皆無に等しいのではないでしょうか。

モルディブ国民はスタートラインからハンデキャップを持っていますが、モルディブの政策はそこに一つの対応策を見出しています。

それが英語教育です。

モルディブでは、幼稚園から英語教育が始まるといいます。

小学校でも、普通の教科は英語で授業が行われ、クルアーン(コーラン)だけが唯一の例外でディベヒ語によるそうです。

だから、すべての小学生が英語を普通に話します。

ホームステイでやってきた6人の少年少女も皆、英語が流暢でした。

モルディブ の子供達は、英語圏の国々に留学したり、移住したりするのに、言語上のハードルはありません。

一方、日本はどうでしょうか?

英語を普通に話せるいわゆるバイリンガルは、まだまだ多くはありません。

受験英語ですがそれなりに頑張ってきた私も流暢に話せるというほどではなく、ホームステイの子供達と十分にコミュニケーションできませんでした。

やっと小学校で英語が導入されたばかりで、多くの子供がまだ英語を十分に使えるとは言えず、例えばアメリカなどに留学をしたいと思った時に、まず英語のハードルが高々と立ちはだかる状況です。

モルディブの子供達は誰でも望みさえすれば、英語圏で最新の学問に触れたり、気鋭の起業家と交流したりすることが可能です。

しかし日本人は、同じことをやろうとするとまず英語の壁を乗り越えるための努力、それも相当の努力をしないといけません。

たまたま日本語が通用する相手が1億人以上もいて、文献や芸術もそれなりに流通しているため外に出て行かなくてもなんとかなっているだけです。

現時点に限っては。

モルディブでは、最近10年の1人あたりGDPは倍増しています。

日本は2012年のピーク時に比べ、2割減少しています。

英語教育の充実を急がなければならないことは明らかでしょう。

英語中心主義に異を唱える暇はありません。

歴史上も、世界の中心は変遷してきており、その時代その時代で皆、世界の中心に学びに行っているのです。

本当に使える翻訳アプリが登場するのを待っていては、いま目の前の相手とコミュニケーションするチャンスを逃してしまいます。

子供達に、もっと英語を学ぶ機会を!

まずは自分から学びます。

手始めにTOEICのテストに申し込みました。

英断

高校野球の県大会決勝でエースを登板させるべきだったか、議論されてますね。

日本では学生スポーツが盛んで、高校野球や箱根駅伝のファンが全国にたくさんいます。

高校野球はお盆を挟んだ夏、箱根駅伝は正月休みの冬と、季節感も相まってそれぞれの時季の風物詩となっています。

また、高校は3年間、大学では4年間と限られた時間の中で、若者たちが青春のエネルギーを注ぎ、二度と戻らないページを刻んでいること。それが、見ている私たちの心を捉えます。

そんな夢を見させてもらっている私たちは、彼らの将来まで先喰いして、無理をしてでも土俵に上がれと言えるのでしょうか?

彼ら自身が出たがっているという話もあります。本人たちの夢を奪うなと。

その夢の舞台は適切に設定されているでしょうか?

真夏の一番暑さが厳しい時季。

エースに頼らざるを得ないルール。

大人は選手ファーストの環境を全力で整えた上で、「よし思う存分夢を叶えろ」と言初めて言えるのではないでしょうか?

決勝では登板するだろうと誰もが期待したあのピッチャー。

投げさせなかった監督の判断は、立派です。

私もこんな風に子供を守れる人間になりたい。

脳内シミュレーション

ボリュームのある文章題を前にして、生徒たちは茫然とします。

アレルギーと言ってもいいかもしれません。

そしてそのまま思考が停止するようです。

なぜ思考することに踏み出せないかを観察していると、ある事に気づきました。

間違えることを恐れている。

間違った答えを口にすることを極度に怖がっているようなのです。

数学ができる人の思考パターンは高速で試行錯誤することだと思うのですが、はたから見ていると間違いを犯さずにすぐに正解にたどり着いたように感じられるのかもしれません。

だから自分が解答を求められた時に、間違ったことを言わずに、正解だけを言わなくてわならない、そんなプレッシャーに囚われているような気がします。

繰り返しますが、数学ができる人は脳内シミュレーションが高速でできる人。その過程でたくさん間違いを犯してます。

ただ、間違いに気づいて修正するのが早いだけ。

だから例え難解そうな文章題でも、とりあえず知ってる公式を並べたて、それが使えるかどうかを素早く検証するトレーニングをする。

それが数学が得意になる早道です。

PTAはじめました。

なかなか梅雨入りしませんね。

ラーメン屋さんで、冷やし中華は始まりましたか?😆

私はPTAの教養委員を始めました。

先日、成人講座という名の保護者研修を無事終えることができました。

思春期を迎える子どもに対する心構えのお話で、日頃の子育てに活かせるいい内容でした。

私は運営スタッフだったので、参加者のアンケートを取りまとめる作業をしたのですが、保護者一人一人の感想にじんわりと心を打たれました。

外から情報を受け取ることも大切ですが、内なる声には、思いもしなかった価値があるように感じます。

こういう体験を一度してしまうと・・・

やめられまへんなあ😃

考える道筋

例えばこんな問題があります。

「東京は今3月2日の午前6時です。東京からロンドンまで13時間かけて移動しました。ロンドンに到着した時、ロンドンは何月何日の何時でしょう?」

こうした問題を前に、子供たちは即座に「分からん!」と叫びます。

はっきり言って私にも分かりません、問題を見た瞬間には。

でも、考える道筋は知っています。知っていると言っても暗記しているわけではありません。考えれば分かるのです。

問われているのは「考える道筋」です。

「経度15度ごとに1時間の時差がある」知識としてこれを知っていれば、多少答えは早く見つかるでしょう。でもこの知識さえも別に覚えておく必要はない。

24時間で1回転する(360度回る)ことが分かっていれば、360 ÷ 24 を計算していつでも「経度15度ごとに1時間の時差」を呼び出せるのです。

むしろ暗記に頼ると、いつの間にか記憶が変わる可能性があります。例えば「経度25度ごとに1時間の時差がある」といった具合に。

こうなると計算は完全に狂ってしまいます。

自分の記憶が正しいかどうかを常に再確認するためにも、大原則である「24時間で360度」の方から攻めたほうが無難です。

考える道筋を問う問題は、反射的に答えがわからないからと言って投げ出してはいけません。

例えば、「世界で一番長い川は?」の答えは「ナイル川」です。

これを思い出せない場合は、すぐに地図帳で調べましょう。

でも先の時差の問題は答えはどこにも書いてありません。

その代わりに、知識がなくても順を追って考えればわかるのです。

「宿題を提出する」ということ

学校からは、日々宿題がたくさん出されます。

定期テスト前ともなると、「数学のワークブック(指定の問題集)の何ページから何ページまでの問題を解いて、○月○日までに提出すること」といった宿題も課されます。

そして生徒たちは、与えられた範囲をとりあえずこなします。

やり方は生徒により様々。

①きちんと自分で考えて解き、分からなかった箇所は調べたり先生に質問したりしてクリアし、提出に至る子。

②きちんと自分で考えて解くが、分からなかった箇所は友達に見せてもらい(あるいは模範解答を丸写しして)、全て解答した形にして提出に至る子。

③自分では解かず、はじめから他人のを丸写しして提出する子。

まあ、若干のバリエーションはあるでしょうが、大まかにこんな感じに分類されると思います。

どれも提出物を見ると、見た目の差がありません。

これを学校の先生はどう評価するのでしょうか?

もちろん、テスト本番で子供達の理解度は明らかになります。

ただ、せっかく試験前に出題範囲を明らかにして課題を与えられているので、時間をかけてしっかり勉強すれば身につくはずです。

ところが、かなりの数の生徒が、宿題を提出しなければならないがために、②や③のやり方で時間を浪費するのです。

生徒たちは、理解度は関係なく「問題集は正解で埋め尽くされて提出するものだ」と思っていることでしょう。

もったいないことです。

よそから借りてきた正しい答えの寄せ集めよりも、まずは自分で考えてみて、時に間違え、その間違いを検証し、悩み、調べ、質問して、じっくり克服させてあげたいものです。

その分母、消していいの?

分数を使った一次式を簡単にする計算があります。

一部の中学生は、計算の途中で何を思ったか、分母を消そうとします。

曰く「分母が同じだから」

???

ははーん、なるほど。

でも分母が同じときに消すのは、どういう時だっけ?

つまりこれは方程式。

まずは、両辺の分母を6で揃えます。

方程式のルールにより、両辺に同じ数を掛けても、等式は成り立ちます。

そこで、両辺に6を掛けて、分数でない状態にするのです。

冒頭の一次式で、共通の分母を消すという勘違いをしたのは、方程式において両辺に同じ数を掛けて分母をなくすことと混同していたからです。

なぜ分母を消すことができるのかを考えることで、この間違いを防ぐことができるのです。

数学でそれなりの点数を取る子でも、結構この手の勘違いをするので要注意ですよ!

3a−a=3 ???

数学の初歩を教えている時、割と多くの子が3a−a = 3 と答えます。

長らく数学の問題を自分で解いてきた中で考えもしなかったことですが、改めて見たままを考えると「3a − a = 3」って、当たってるような気もします。

毎年、この単元を学んだはずの中学1年生のうち、相当な数の生徒が「3a − a = 3」という認識のまま、次の単元に進んでいる可能性があります。

彼らは、間違った認識を直される機会がないままに、次へ進むことを余儀なくされています。

もう少し時間をかけて丁寧に説明すれば、多少難しい内容でも心から納得できるはずなのに、その機会が与えられていない。

これでは、徐々に難しくなっていく数学の時間が好きになるわけがありません。

これまで、学校の先生たちは目に見えない平均的な生徒向けの授業をしてきました。

これからは、具体的な生徒を意識して、誰もが同じレベルの理解に達する指導をするべきではないでしょうか。

ある人が言いました。

「子供が学校に適応できていないのではない。学校が子供に適応できていないのだ。」

学校は、すぐに変わることはできないでしょう。

だからこそ、私の出番かな(笑)

すべては数直線から

新中1生の数学が始まりました。

これから中学、高校と学んでいく数学の、最も基礎となる正の数・負の数です。

負の数同士を比べたり、分数と小数を比べたり、3つの数を比べたり・・・

どんなパターンになってもきちんと大小の比較ができること。これは、これから数学を学んでいく上でとても大事です。

例えば「-0.3と-1/4の大小を、不等号を使って表せ」という問題が出た時、皆さんどうしますか?

すぐ分かるという人、このブログを読む必要ありません。

多くの生徒さんに見られることですが、みな頭の中だけで考えようとします。

そんな時は必ず「まず図に描いてみよう」と声をかけます。

思考を頭の外に出して考える。

頭の中でグルグルとこねくり回すより、図に描けば気づくことがたくさんある。

学校では言わないのかな?

数直線は、すべての数学の基本。

旅人算みたいな計算でさえ、まず「うーん???」と考えはじめる子の、なんと多いことか。

「計算せよ」、「答えを出せ」という言葉の意味を、「頭で考えろ」と同義と考えているようなきらいもあります。

学校でもっと言った方がいいのでは? 「とにかく図に描こう」と。

まあ、それやられちゃうと塾講師の仕事がなくなっちゃいますけどね😜

分数と小数の比較については、次回。

プログラミングを学び始めました

子供達にビジュアルプログラミングのscratchで、プログラミングの基礎を教えています。

さらにパワーアップするために、4月から自分でも本格的なプログラミングを学び始めました。

選んだ言語はswift。

まだまだ、用語やアルゴリズムなどちんぷんかんぷんのことも多いですが、それは数学の苦手な子が学校の授業で先生の説明が理解できずに放置されている状況と同じです。

いま理解できなくても、少しずつ前に進めばやがてできるようになる。

始めるのに遅すぎることはない。(なにせアラフィフですから😜)

そんなメッセージを子供達に伝えられたらいいなと思っています。

半年後に、iOSアプリを開発してリリースするのが目標です😁

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